大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(あ)3327号 判決

本籍

下関市大字大坪一三六四番地

住居

宇部市西岐波区浜中

料理店営業

高橋登

明治三九年七月二二日生

右の者に対する賍物故買被告事件について昭和三〇年一〇月三日広島高等裁判所の言渡した判決に対し被告人から上告の申立があつたので当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

被告本人の上告趣意について。

論旨は事実誤認と量刑不当の主張を出でないから刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

弁護人猿谷明の上告趣意第一について。

論旨は憲法三七条一項違反を主張する。しかし原判決の認定するように、一審担当裁判官が判決言渡後訴訟記録を控訴審に送付するに当り、その責に帰すべき事由により、それまでに約四年一月を経過し、所論のように、裁判が迅速を欠き憲法三七条一項の趣旨に反する結果となつたとしても、それは当該裁判官に対する司法行政上その他の責任の問題を生ずるであろうけれども、その事自体は判決に影響を及ぼすこと明らかな事項とは認めることができず、原判決破棄の理由となるものではないという趣旨は既に当裁判所の判例とするところである(昭和二三年一二月二二日大法廷判決刑集二巻一四号一八五三頁、昭和二四年一一月三〇日大法廷判決刑集三巻一一号一八五九頁)。それ故論旨は採用できない。

同第二、第三について。

論旨は事実誤認と量刑不当の主張であつていずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

また記録を調べても同四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四〇八条、四一〇条一項但書、一八一条により裁判官小林俊三の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官小林俊三の補足意見は次のとおりである。

憲法三七条一項にいう被告人の迅速な裁判を受ける権利についてどのような具体的保障が定められているか、ということが、本件の大きな問題である。前記判示の引用する大法廷判例の趣旨によれば、本件のように担当裁判官が司法行政上の責任を問われるという、いわば間接の規制があるだけで、その事自体は常に上告の理由とはならないというのであつて、結果としては、被告人の迅速な裁判を受ける権利といつても、格別具体的な保障はないということになるようである。果してこれが憲法三七条一項の精神であろうか。

念のため前記引用の大法廷判例について上告の理由とする遅延の態様を調べてみると、昭和二三年一二月二二日判決の事件は、公訴の提起から二審判決の言渡まで約六箇月半を費していることを非難するものであつて、これに対し判示は、推認される原因として刑事事件のふくそうと裁判所職員の手不足その他を挙げている。次の昭和二四年一一月三〇日判決の事件は、被告人が逮捕勾留されてから二審終結まで四百日余を経過していることを非難するものであり、これに対し判示は、右大法廷の判例を引用するに止まつている。従つて担当裁判官の責に帰すべき事由を特に認定してはいない。しかるに本件における控訴趣意は、被告人の逮捕勾留後二審の第一回公判期日までに約五年を費していることを非難するのであるが、原審の確定するところによると、一審の裁判官は、一審判決言渡後、控訴審に訴訟記録を送付するまでの間において約四年一月を費しているが、これは一審の担当裁判官が判決言渡後該記録を自ら保管していたためであつて、ここに至る経過について、それが病気等やむを得ない事情に基くことを首肯するに足る資料はないというのである。このように見て来ると、大法廷の判例は、はじめ六箇月半ばかりの期間の経過についての判示であつたが、次の判例では遅延の期間はさらに長期にわたつているが、上告理由として採用できないとする理由については、前の判例を援用しているに止まるのである。この趣旨から推論すればその遅延が例えば七年というも一〇年というも全く同じことに帰するわけであつて、かくては憲法三七条一項の迅速の裁判といつても、それは被告人にとつては単に画ける花に過ぎず、具体的には何も保障されていないということにならざるを得ない。

いま憲法のこの規定に応ずる法令上の手当を捜してみると、刑訴法には見当らず、刑訴規則一八二条に「裁判所がその権限を濫用して公判期日を変更したときは、訴訟関係人は、書面で、裁判所法第八十条の規定により当該裁判官に対して監督権を行う裁判所に不服の申立をすることができる」というのがあるのみである。そしてこの刑訴規則といえども、結果として裁判がいかに迅速を欠いてもそのことについて被告人を直接保護する何ものも含んでいない(公職選挙法二一三条のいわゆる百日裁判の規定も遅延について被告人を直接保護するものでないことは同様である)。してみるとわが現在の法制においては前記憲法の規定を具体的に保障する手段は何もとられていないとみなければならない。このことはわが旧刑訴法(二八五条以下)が時効について中断の制度をとり、それによつて時効はなお常に新たに進行をはじめるものとしたため、被告人は著しい裁判の遅延に対し時に免訴の判決を受けることがあり、その結果被告人を間接に保障する作用をなしていたが、これに対し新刑訴法は時効中断の規定を廃し、すべて時効停止の制度(二五〇条以下)に改めたため、旧刑訴法のような効果をも全く認めることができなくなつたことからも明らかである。アメリカにおいては、連邦も各州も、裁判所の判例や法律又は規則において、憲法修正六条の迅速な裁判に対する具体的な保障として種々の考慮が払われていることがうかがわれる。しかしわが国においてはこれに比ぶべき何ものもないこと前示のとおりである。

以上のとおりであるから、わが憲法三七条一項にいう迅速な裁判についてはこれを保障する法令上の保障は全く欠けていると認めなければならない。そしてこの欠缺はあまりに明らかであるから、解釈によつてこれを救うべき余地はないものと認めなければならない。従つて前判示のような結論にいたるのほかないのである。

(裁判長裁判官 小林俊三 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己)

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